
今日は、なんとなくニュースをつけっぱなしにしていた。
画面の向こうでは、誰かが何かを語っていて、
拍手が起きていて、少し高揚した空気が流れていた。
でも、わたしの部屋の中は、いつもと同じ静けさだった。
—
何が変わったのかは、よくわからない。
何かが決まって、誰かが評価されて。
それは確かに「動いている」証なのかもしれないけれど、
なぜか、そこに置き去りにされたような感覚が残った。
—
ここ最近、わたしのまわりは少しずつ変わってきている。
働き方も、人との距離感も、生き方も。
一つの正解ではなく、それぞれの「ちょうどいい」が認められ始めている気がする。
ただ、それを受けとめる仕組みのほうが、
どこかで止まったままのように思えることがある。
まるで、未来のほうが先に歩いてしまっていて、
大きなシステムは、それを追いかけきれていないような──
そんな、ずれ。
—
誰かを責めたいわけじゃない。
わたしも、正解がわかっているわけじゃない。
でも、日々を生きるなかで、
「もう少し違うやり方があってもいいのに」と思う場面がある。
それは、駅のホームかもしれないし、
病院の待合室かもしれないし、
ただ帰り道で空を見上げたときに、ふと感じるのかもしれない。
—
今日、投票所に行った。
特別な期待があったわけじゃない。
でも、何もしないままでいると、
わたしがここにいることさえ、誰にも気づかれない気がしたから。
—
変わるべきものが、
変われるようになるには、きっと時間がかかる。
でも、待っている人たちはたくさんいる。
声を上げないだけで、
ちゃんと、感じている。
—
わたしの暮らしを、
わたしだけが守る日が続くなら、
せめてその暮らしが、どこかでちゃんと尊重されていたらいい。
そう思っただけの、日曜日だった。