梅干しの味

気がつくと、まぶたの裏がずっと重たくて、
誰とも話したくないのに、何かに追われているような気がしていた。

深く息を吸えないまま、パソコンの画面と時計ばかりを見つめて、
目の奥がじんわり痛む。

笑顔をつくるのが、ちょっとだけ面倒になって、
食事も、“済ませる”ための作業になっていた。
好きなはずのご飯なのに、味を覚えていない。

「忙しい」という字は、心を亡くすと書く。
それがただの言葉じゃないと、最近よく思う。

心が亡くなるとき、
自分が「感じること」から、そっと遠ざかっていく。

風の匂いも、好きな音楽も、
まるで自分に届かない場所にあるみたいだ。

そんなときは、ほんの小さなことをしてみる。
酸っぱい梅干しをひと粒、口に入れてみる。
湯呑みから立ちのぼる湯気を、しばらく眺める。
洗いたてのシャツに腕を通して、布の感触を確かめる。

そうしていると、
輪郭を失っていた“わたし”が、少しずつ戻ってくる。

忙しさを止めることはできなくても、
感じることを思い出すことは、きっとできる。