![[被爆前の広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)] *かつてこの地に立っていた産業奨励館。周囲には料亭や映画館が並び、繁華な町が息づいていた。* (写真:広島市公文書館所蔵)](https://happinessihave.com/wp-content/uploads/2025/08/産業奨励館-確かにここに街があった-1024x659.png)
広島原爆の日と8時15分の黙祷
~かつてここに暮らしがあった~
今年もまた、あの夏の日がやってきた。
広島の街に、祈りの人々が集う。
静かに手を合わせ、失われた命へ心を寄せる。
あの日、何の前触れもなく、
大切な人々のいのちが、一瞬にして奪われた。
その場にいなければ、本当のことは何もわからない。
けれど、確かな事実として刻まれているのは、
「奪われなくてよかったはずの命」が奪われたということ。
そして、街もまた、
そこに息づいていた暮らしとともに焼き尽くされた。
それはただの建物ではなかった。
日々の営みがあった。
声があり、笑顔があり、祈りがあった。
そのすべてが、たった一瞬で絶たれてしまった。
時が過ぎて、ようやく気づく。
失われたのは命だけではなかった。
街とともに、連なっていた「記憶」や「文化」までもが、
静かに、そして確かに、断ち切られていたのだ――。
8月6日 広島原爆の日に思う失われた暮らし
~破壊されたのは、街とともに「記憶」だった~
あの日。
よく晴れた、真夏の朝だったという。
空襲警報は鳴らなかった。
飛来したのは、三機のB-29。
エノラ・ゲイと、その同行機たち。
観測と撮影任務を帯びたそれらの機は、
日常の中に、突如として非日常をもたらした。
瀬戸内の陽を受けて、金属の胴体がきらりと光った。
そして静かに原子爆弾が落とされ、すべてが、終わった。
子どもたちは、建物疎開の奉仕に駆り出されていた。
活気ある朝のはずだった。
それが、一瞬で灰に変わった。
破壊されたのは街並みだけではない。
そこにあった「文化」と「記憶」が、
連綿とつながれてきた「暮らしの時間」が、
文字どおり、引き裂かれてしまったのだ。
平和公園になる前、この地には町があった
今、平和記念資料館や慰霊碑が立つあの場所は、
かつて「中島本町」「天神町」「元柳町」「材木町」「中島新町」「木挽町」など、
いくつもの町が寄り添って実在していた。
映画館もあった。
旅館街もあった。
川辺には料亭が並び、喫茶店の窓には朝の光が差し込んでいた。
そして、誓願寺の境内には、厳島大明神が鎮座していた。
この「厳島大明神」は、宮島にある厳島神社の御祭神を勧請したものであり、
広島に伝えられてきた文化と信仰の象徴であった。
毎年旧暦の6月17日には、厳かな管絃祭も営まれていた。
そして、原爆忌である8月6日と、旧暦6月17日にあたる管絃祭の日が、奇しくも重なる年もある。
記憶の痛みと祈りの伝統が、ひとつの日付に宿ることがあるのだ。
かつて祭礼が行われていた神の坐す場所すら、永遠に消え去り、
そこには今、原爆資料館が建っている。
いまを生きるわたしたちは、
たくさんのことを抱えながら、忙しさのなかを駆け抜けている。
過去のことに思いを馳せる余裕なんて、正直あまりないのかもしれない。
けれど、だからこそふと立ち止まって、
「たしかにここに人がいた」という事実を、そっと思い出していたい。
8月6日 広島原爆の日に行われる灯篭流し
~記憶をつなぐ祈りのために~
8月6日 広島原爆の日。8時15分の黙祷とともに、夜には川に灯篭が流され
奪われた暮らしと記憶を想い、静かな祈りを言葉に残す。
あの場所に立つと、時間が静かに交差する。
風の音に、どこか遠い笛の音が重なるような気がする。
平和公園は、いま祈りの場であると同時に、
かつて確かに“暮らしの場”であった。
誰かが笑い、働き、恋をし、眠った場所。
誰かが日々を重ね、家族を育て、祈りをささげていた場所。
それがすべて、ある朝、跡形もなく奪われた。
祈るという行為には、ただの鎮魂を超えた意味がある。
それは、途切れた記憶をもう一度つなごうとする、
ささやかだけれど尊い、意志の表れなのだ。
語ることは、祈ることに似ている。
決して自分のためではない。
遠く離れた誰かのために、
そしてまだ見ぬ誰かの未来のために。
だからわたしたちは語るのだ。
言葉にならなかった祈りや、交わされなかった言葉。
それらを未来へ運ぶ舟として、
静かに、けれど確かに語り継いでいく。
わたしたちが祈るとき、そこには必ず記憶がある。
それは過去への哀悼であると同時に、
未来への約束でもある。
いま、ここに立つわたしたちが、
語り継ぎ、祈り継ぎ、
記憶の火を絶やさない。
その連なりの中に、きっと、平和のかたちがあると信じて。
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付録 短編小説「櫛」
※本作品はフィクションです。