ローテンブルク
先日、長年お付き合いのある方と食事をする機会がありました。
既に定年退職され、現在は奥様と海外旅行を楽しむ充実した日々を過ごしていらっしゃり、久しぶりにお会いしました。
自然と、海外旅行の話に花が咲き、共通の旅先の話でひとしきり盛り上がりました。
私の海外旅行の経験は、ごくわずかなものですが、その中で記憶に深く残っているのは、ドイツ中世の町、ローテンブルクです。
一緒に食事をご一緒した方も、印象に残る所とおっしゃっていた、素敵な街の思い出がよみがえりました。
正式にはローテンブルク・オプ・デア・タウパー。
ドイツ、バイエルン州にある17世紀の街並みが残る、人気の観光都市です。
「ロマンチック街道とザルツブルク、ウィーンの旅」と冠のついたツアーで立ち寄った街でした。
あれから、随分月日がたちますが、絵本かおとぎ話にでも出てきそうな中世の姿を残す街並みや、古い木組みの家々に、まるでタイムスリップしたようでした。
すぐそこの角から、中世の人がひょっこりと姿を現しそうな、そんな街が今も残っていました。
あの時の感動の記憶は、映像としてはっきりと体の五感にありありと焼き付いています。
訪れたのは冬、しかも大晦日でした。
雪がちらちらと舞い、地面にもわずかに白く積もっており、気温は氷点下という寒さの中でした。
ダルマのように服を厚く着こんでいるにも関わらず、冷気が袖の間等、衣服と体のわずかな隙間をからしのびこみ、暖かい土地で育った私には、耐えられない寒さでした。
映像や写真で見ていた、緑が街を包み込むようなヨーロッパの景色は、そこにありませんでした。
石畳は冷たく氷りつき、まるで人を拒絶するようで、油断すると滑って転んでしまいます。
真冬のヨーロッパの、こんな表情を体感出来たのは、冬のツアーに参加した大きな収穫でした。
ニューイヤーを迎える
ローテンブルクの街をひととおり観光後、一旦ホテルに入りました。
体は芯まで冷えきっていましたが、バスタブのお湯に浸かって、体は充分に暖まりました。
その日は大晦日。23時頃に再びホテルを出て、ニューイヤーを迎える市庁舎前の広場へ行きました。
既に、新年を待つ人々が群集となっていました。
あたこちで、火力の強い爆竹が鳴らされ、花火が打ち上げられ、新しい年が待ちきれず、既に大変なにぎやかさでした。
高揚した若者達でしょうか、広場の向こう側から打ち上げ花火を水平打ちしてくる輩がいました。全く恐ろしい。。
いよいよカウントダウンが始まりました。
有名な市庁舎の、鐘が高らかに響き渡って新しい年を告げた時、一斉でした。回りにいたカップルたちが抱き合い、口づけを交わしはじめたのです。
全く予期していなかった展開にどぎまぎしていると、たまたま隣にいた地元の髭のオジさんが、ラッパ飲みしていたワインをぐっと差し出し、お前も一杯やれとの仕草。
その時飲んだワインとニヤリと笑ったオジさんの顔が今でも忘れられません。
一瞬のふれあい、素敵な旅の出来事でした。
東山魁夷とローテンブルク~戦後再建した街~
ローテンブルクは私の好きな画家、東山魁夷さんが戦前、戦後と訪れ、ことさら愛していた街です。
おとぎ話のような、今も中世の夢を見せてくれるこの街。
実は戦争で40%もが破壊されているのです。
戦後、当然近代都市に生まれ変わるという選択肢もありましたが、ここローテンブルクの住民達は、この街を元の姿に復元することを選んだのです。
私たちを楽しませてくれるこの街は、実は焼け跡の中から、市民の力により、コツコツと、恐るべき労力をもって昔の姿へと積み上げていった結果なのです。
そして、今ドイツ有数の観光都市となっているのです。
東山さんは、そんなローテンブルクを愛し、街の絵をいくつも描かれています。
東山さんの手記にある言葉です。
「私にはよく解っている。ローテンブルクの再建が、市民の個々の利害得失の外に在るもの -『我が町』に対する強い愛着の精神によるものであることを。個人の自由の束縛というよりも、市民の誇りが一致して、この町を保存するところに懸っているのであろう。」
当時のローテンブルクの人々の、街に対する深い愛情に、何か震えるような感動を覚えます。
戦後、復興のなか、そして高度経済成長の中、古い街から新しい街に変わりゆく日本の姿をどのように感じられたことでしょう。
東山さんは、ローテンブルクの入り口の城門、シュピタール門にラテン語で刻まれた言葉を愛しました。
“Pax intrantibus,
Salus exeuntibus”
「歩み入る者に やすらぎを
去り行く人に しあわせを」
機会があれば、もう一度訪れたい街です。
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