江戸時代、明治の驚異的な日本の発展を熟成し基礎を形作った密度の濃い社会

太平の熟成期間

来年は明治から150年です。

明治は、江戸時代を否定して成立し、日本が文明国と肩をならべるまでに急激な変化を成し遂げました。

しかし、否定された江戸時代、泰平の264年間があってこその結果が明治であり、以降の人々にとって実に重要な時代だったのではないでしょうか。

徳川幕府が治めた、戦乱のない時代に、日本人の民衆の精神は、お酒が発酵するように熟成されていったのではないでしょうか。

この熟成された精神が、日本人の勤勉性が、見えないところで芽を伸ばし、ポテンシャルを高め、明治になって、一気に爆発的な発展を遂げるエネルギーの源泉となったのではないでしょうか。

 

私がまだ子供で、歴史に興味を持ち始めた頃、関心の中心は戦国時代であり、ヒーローはやはり織田信長であり豊臣秀吉でした。

単純に好きか嫌いかといえば、江戸時代は分が悪かった。

又、幕末のヒーローは、坂本龍馬であり高杉晋作であり、革命を成し遂げた志士たちであり、やはり江戸時代は子供の心に分が悪かった。

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国の隅々まで広まった文化

しかし考えてみれば、あの秩序の崩壊した戦国の乱世を収め、264年もの間、徳川幕府が君臨して太平の世を治めた功績は、文化醸成の意味で大きなものだったと思うのです。

国内の津々浦々まで徳川を頂点とし、大名により各藩が支配、教育は武士階級だけではなく、庶民にも寺子屋などで、知識が知恵が浸透してゆきました。

始めて山口県の萩を訪れた際、生まれて始めて日本海を目にしました。

車で訪れた事により、瀬戸内海から遠く離れた地理的な遠さを実感しました。

強い波が岸壁に打ち寄せる音を聞きながら、徳川の世をひっくり返した藩が、江戸から遥か彼方の地だった事に実感として驚き、そこから多くの人材を輩出した事に、日本という国の奥行きの深さを感じました。

世界を驚かせた日本の文化

開国後、日本が西洋に与えた文化的衝撃の大きさは、ジャポニズムとして大きな刻印を歴史に残しています。

日本がヨーロッパから遥か東の果てで、鎖国という閉ざされた社会の中で、独自の江戸文化から美の世界を作り上げていました。

そして、論理的な思考により、ひとつの美の形を作り上げていた西洋美術に対し、革命的な影響を与えた、当時の日本人の奥深い文化的な血を、誇りに思います。

明治に入り新政府は国家として輸出できるものを探し、目をつけたのが、武士の時代に磨いてきた職人たちの技。

それまで刀や、刀の装飾などを作っていた職人たちは、顧客の武士がいなくなるのとともに、突然職を失いました。

 

しかし、再び国策として世界へ輸出する工芸品の世界で、国家から目をつけられました。

それまで刀を作るという閉じた世界の中で、究極の技術力にまで磨かれた彼らのポテンシャルは、突如表現の可能性を自由な工芸作品の世界で、大きく広げました。

新たに工芸作家として技術力を全て注ぎ込んだ彼らの作品は、万国博覧会に出品されるや、世界を驚嘆させました。

ハリリコレクション等、今に残る工芸作品は、現在の最先端をゆく匠たちをも、そのすさまじいばかりの技術の高さに驚かされます。

現代の最先端の職人の技をも遥かにしのいでいるのです。

この事実からも、江戸時代がどのような時代であったかを、よく象徴していると思うのです。

大きな戦争を経て、日本の文化の土台にあった精神性は、過去のものとのりつつありますが、絶対に忘れてはならないものだと思うのです。

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