高杉晋作の辞世「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・」痛快な風雲児

高杉晋作最期の時

司馬遼太郎の小説、花神だったでしょうか、高杉晋作の死のくだり、結核の病床で辞世の句を読もうとしました。

「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・」と詠んだところで筆ががとまりました。

看病する野村望東尼が助け船をだし、「すみなすものはこころなりけり」と続け、晋作は「おもしろいのう」と呟いて亡くなりました。

しかしこの歌、近年の研究では、亡くなる数年前に詠まれていたとの説があるようですが、いずれにせよ晋作の詠んだ歌として、私にとっては大好きな歌のひとつです。

幕末の天才、平和な世の中なら

高杉晋作は天才的な戦略で藩のクーデターを起こし、第二次長州征伐で、まるで映画か劇画のように、大胆で奇想天外な発想で幕府軍を蹴散らしてしまいました。

 

自由なな発想で、幕末の奇跡をひき起こした、私にとって大好きな人物の一人です。

英傑というイメージが強いですが、あの革命の時代にあってこそ、歴史の表舞台に押し出された人物だったのではないでしょうか。

もし現代に生きていたとしたら、ギターを片手に好きな歌を作り、ひょっとしたらシンガーソングライターにでもなって、型にはまらず自由奔放に生きいたのではないでしょうか。

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心がどうとらえるかということ

彼の辞世の句、面白くもない世の中を、面白くするのは、己の心次第だよという言葉、いいですね。

面白くもない世の中も、心のあり方次第で面白く生きることができるよ。

面白いとか面白くないとか、評価するのは自分の心のあり方次第。

どんな世の中であろうと、心のありようによって面白くもなれば、つまらなくもなる。

素敵な言葉です。

自分の心で自由に生きたい

環境に支配されるのではなく、自分の心を支点にして、自由な心で生きる、私もかくありたいと思います。

日常のワクの中で、せせこましく一喜一憂する自分を鼓舞させてくれる言葉です。

認識のありようを表現した有名な歌があります。

「手をうたば 下女は茶をもち鳥は立ち 鯉は寄りたるさるさわの池」

この歌は唯識論などでも引用される有名な歌ですが、手を打つという動作が、受け取り手の主観によって様々な意味に受け取られるという事を端的に表現しています。

手を叩くという行為自体は、意味のないニュートラルなもの。でも、それぞれの受け手の経験や立場から、反射的に意味付けを行い、その結果として様々な行動を起こします。

ニュートラルな現象に意味を付け足しているのは、受け手個人の経験なり、こだわりなんですね。

だったら面白く生きればいい。

高杉晋作の辞世の句、きっと彼の様々な遍歴の上で行き着いた考え方なのでしょうが、その行き着いた先は極めてシンプルな原理です。

考えさせられる言葉です。

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