クリスマスの起源
12月の夜、眩い東京の街を歩くのは楽しいです。
私の会社の入っているビルも、近隣ビルの回りもイルミネーションが私の目を楽しませてくれます。
いよいよ忘年会シーズンに突入、これから東京の夜の街を歩き回りますか、どんな幻影を見ることができるのか、楽しみです。
ところで、クリスマスの日といえば、イエス・キリストの生まれた日だという事は小さな頃から常識として認識していました。
でも、大昔のヨーロッパでは、どうやらちょっと様子が異なっていたようです。
フランス語で、クリスマスの事はノエルといいますが、語源は二つの説かあるとか。
ひとつは、ノイオヘル=聖なる誕生、そしてもうひとつはナタリス=新しい太陽。
聖人誕生の日とされるキリスト教では、そもそも神であるイエス・キリストの誕生を語る事はタブーでした。神様なのですからね。
まあ、それ以前にユダヤ人自体が、誕生日というものに重きをおいていませんでしたが。
だから新約聖書には誕生日に関する記述もなく、いつイエスキリストが誕生したのか正確にはわかっていないのです。
フランス語の新しい太陽という語源。キリスト教が布教される以前にあった意味を象徴しているのです。
そして昔のヨーロッパの人々の太陽と春への思いがこもっているのです。
この日は冬至にあたります。
長い夜が、この日を境にだんだんと短くなっゆく。春へ向かう折り返し地点なのです。
まさに新しい太陽が誕生する日が、この日にあたるのです。
ヨーロッパの冬は暗く寒い
私の妹は、一時、数年間パリに暮らしていました。
当時こんなことを語っていました。
「観光シーズンしか知らないでしょう。冬のヨーロッパって、こんなに寂しい季節はないのよ。だからクリスマスの飾りが現れるほっとするの。」
ヨーロッパと言えば、中世の面影を残した古い町並みに緑が溢れ、家の窓には美しい花が飾られているイメージ
が勝手に私の頭の中に描かれています。
旧市街の古く美しい建造物と植物が、調和して、観光客の目を楽しませ、異国情緒に浸らせてくれます。
しかし、夏の間、長い一日を暖かさと明るさで優しく包んでいた太陽も、冬には、なりをひそめてゆき、夜が、闇が、長くなります。
北に行くほど闇も寒さも深まります。
それから、ヨーロッパの街というのは基本的に無機的な石を積み上げた構造なのす。
道路にも石が敷き詰められ、水平にも垂直にも”石”が積まれているのです。
冬ともなれば、最小パーツである石は冷たく凍りつき、人を拒絶するのです。
凍った石畳は、恐ろしく滑って怖いものです。
本格的な冬となり、闇の占める時間が長くなって、太陽の存在が遠くなったとき、冬至の日が、彼らにとっていかに意味の大きなものであったか想像に難くありません。
クリスマスは太陽への希望
古くヨーロッパは、ケルト民族が支配していました。今やイギリスに押し込まれて小さな地域で彼らの伝統と文化を守っています。
自然を崇拝するケルトの人達にとって、太陽は人知を遥かに越えた、大きなまさに神のような存在だったことでしょう。
太陽神を崇拝する日本とヨーロッパは、心の原型として、お互いに通じる感性があるのかもしれませんね。
後にキリスト教が布教された時、神の子であるイエスの誕生と、意図してか自然な成り行きなのかひとつの形に統一されていったのでしょう。
遥かに時を越えて、意味は違えどクリスマスの日を特別に思っていたことに変わりはありません。
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