中宮寺半跏思愉像は超絶技巧による、美の追求の極致、心癒される母性的姿

仲間と奈良へ旅行に

中学生の頃、家族で奈良を訪れた際に土産物屋で購入した、手のひらサイズの半跏思唯像が私の机に置いてあります。

私が中学生の頃からずっと、机の上で考え事をしながら座っています。

遥かな未来、悟りを得て衆生を救うその日まで。

 

私が、実際に本物の半跏思唯像を見たのはもう大人になってからのことです。

友人5人で奈良に行こうと思い立ち、金曜の夜、居酒屋で一杯やったあと東京駅から夜行列車で西に向かいました。

朝早く京都駅に到着し、近鉄を乗り継いで奈良に入りました。

季節は秋、丁度正倉院展が開催されており、修学旅行の学生達や、多くの観光客が訪れていた頃でした。

奈良に到着すると、まず真っ先に行きに向かったのは法隆寺。

旅の目的のひとつです。

修学旅行生に混じり、少々興奮しながら境内を隅々までじっくり見て回りました。

朝早くから、随分歩き、さすがに夜行列車でやってきた旅の疲れもあって、休みたい気分でした。

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初めて実物と出会う

ついでに立ち寄った隣接する中宮寺で、お堂にあがらせてもらい、畳の上で疲れた足を休めながら、予定していなかった美しい半跏思唯像と出合ったのです。

秋晴の日。

暖かい光が差し込む気持ちの良い、まさに癒しの時間と空間でした。

見上げた仏像のあまりの美しさに魅入られてしまい、時が止まってじっと見続けていました。

この仏様は、釈迦のあと、56億7千万年後に仏陀になることを約束され、現在は修行中の為、考える姿がとられています。。

奈良の時代からずっと考えていらっしゃいます。

美しい母性をたたえた姿

本来男性なのですが、どう見てもこの仏像は母性の包み込むような優しさをたたえた、女性の姿に見えるのです。

仏像の顔の表情作りは彫り込みを減らして、目は陰影だけで表されており、抽象的な彫り方をしているのです。

口元にはなんとも言えない優しさがあらわれています。

見ているだけで心が癒されるのです。

黒い姿は、深い精神性を現しているように見えるのですが、実はもともとこの上に肌色が塗られており、色がおちてしまった結果、現在の真っ黒な姿になったものです。

長い年月による劣化の賜物ですが、今の方が断然いいですね。

 

仏像は、物思いにふけり、右手の人差し指がそっとそ頬にそえられようとしている姿が優雅で優しい。。

美への仏師の思い

この像は、X線で撮影すると、骨組みは実に細かいパーツから組み立てられているそうですね。

肩には調整用のパッドが入っており、おそらくは現場で最後に釘で固定されたのでしょう。

仏師は、究極の美の形を追求して、最後に美しい頬に添える手のポジションを決め、永遠化する釘を打ったのでしょう。

美を追及する仏師の執念の結晶ですね。

この美しい表情は、スフィンクス、モナリザと並び、世界の三大微笑みとして、世界の貴重な遺産となりました。

この優しい微笑みは、かつて第二次世界対戦下で、戦地に赴く学生達の心を慰めました。

この仏像を撮影した写真家に、出征する学生達が大勢写真を求めたのです。

迫り来る死を前に、この仏像の究極の母性に抱かれたいと思われたことでしょう。

 

そんな学生達の思いが、痛々しく少し理解できるような気がします。

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