宗達、光琳、抱一へ、100年毎の継承。存在せぬ師から時を越えた精神の伝授

風神雷神図屏風

今日は、厚い雲から雨がポツリポツリと降っています。

一昨日、広島で雨のしずくを降らせていた雲が、今日は東京に流れてきて、同じように雨の滴を降らせています。

ついこの間、春になったと思っていた季節も、いつのまにか既に次の季節へと移り変わろうとしています。

 

雨と風の日本画として、名画、「風神雷神図屏風」があります。

人界の遥か上空、雲の上から、風神が風を、雷神が雷をひき起こす姿の迫力に圧倒されます。

 

この絵は多くの人に、また後世の絵師達に大きな影響を与えた歴史的名画です。

この屏風絵は、俵屋宗達が江戸の初期に描きあげました。大きな袋から風を起こす風神と、太鼓を背負った雷神の圧倒的な迫力が迫ってきます。

100年後光琳にバトンを渡す

この絵は、描かれてから100年後、宗達を心の師と仰ぐ尾形光琳が模写しています。

琳派を代表する光琳の絵は勿論素晴らしいのですが、迫り来る圧倒的な迫力は、屏風の枠からはみだす宗達の絵の方が強い印象を受けます。

絵画は音楽と異なり、作品そのものが魂を持ち、心に直接訴えかけてきます。

作品が存在する限り、魂は生き続けます。

俵屋宗達が描いたこの迫真の絵は、100年の後、当然ながら一度も会ったことがない、後世の絵師に大きな影響を与えました。

江戸の絵画史に燦然と名前を残した、尾形光琳の心に、はかりしれない衝撃を与えました。

宗達の残した作品が、絵に宿る大きなエネルギーによって、既にこの世にいない宗達は、100年後の天才絵師光琳の心に働きかけ、光琳は心のなかで何度も宗達の絵と対話をした事でしょう。

そして宗達を心の師として、一世紀という時を越え、師に追い付き追い越そうとしました。

そして光琳の集大成ともいうべき、名画「紅白梅図屏風」を最晩年に完成させました。

偉大なる師の作品を間違いなく意識し、光琳の人生の集大成として、光琳自身の作風として完成させたのでしょう。

2本の紅白の力強い梅の木は、風神と雷神が光琳の中で昇華した姿でしょう。

梅に挟まれた大きな水流は、呉服屋に生まれ育った光琳の特質であるデザイン性をいかんなく発揮し、この歴史的名画が生まれたのでしょう。

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さらに100年後抱一にバトンを渡す

光琳が亡くなって、さらにまた100年後、姫路城主の二男として生まれながら、市井の人として生きた絵師、酒井抱一は、100年前に生きた、会ったこともない光琳を時空を越えて師と仰ぎ、何とか近づこうとしました。

光琳が宗達を師と仰いだように。

抱一の心が光琳に届いたかのように、水戸藩から、何と光琳の描いた風神雷神図屏風の裏に、絵を描くよう依頼があったのです。

そして、名画「夏秋草図屏風」が描かれることになるのです。

思ってもなかった師との協作に、どれほど抱一の心は震えた事でしょうか。

この作品もまた、風神雷神図屏風と対をなしており、最近下絵が発見され、立証されています。

「風神雷神図」の右隻は「風神図」で、左隻は「雷神図」です。

「雷神図」の裏面には「夏草図」が、「風神図」の裏面に「秋草図」が描かれているのです。

つまり、雷神によって降らされた雨に打たれる夏草と、風神によって巻き起こる風になびく秋草という関係が描かれているのです。

 

実に300年にわたって、作品に宿る魂を受け継ぎ、琳派の精神が時空を越えてバトンを受け継いできたことに感動を覚えます。

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