カラーテレビの誕生
今日はカラーテレビ放送記念日です。
1960年の今日、6月10日に、日本で初めてNHK、日本テレビ、ラジオ東京(現在のTBS)、読売テレビ、朝日放送の5局がカラーテレビの放送を開始しました。
カラーテレビといえば、高度経済成長の代名詞ですが、高度経済成長が始まったのは、朝鮮戦争への物資補給による所謂朝鮮特需です。
まず神武景気が1954年に始まり、長い経済成長の皮切りとなりました。
テレビ開発も経済成長の波に乗ったわけですね。
アメリカでさ既に1947年からカラーテレビが放送されていました。
太平洋戦争が終わった2年後、日本にはまだ焼野原が広がっていた頃です。
日本では経済が復興する中で、我が国でもカラーテレビを、という声が上がりNHKで1951年から実験を開始したようです。
そして1960年に至り、終戦から15年でカラーテレビが誕生したのです。
放送開始当初は、まだ一部の地域のみ。放送時間も1日1時間とか2時間とか、限られた時間にしか放送されていませんでした。
しかも、まだまだカラーテレビ自体は大変高価なもの、当時の値段で50万もの価額だったそうです。
初任給が1万程度の時代ですから、今でいえば1、000万位の値段になるのでしょうか。
まだまだお金持ちしか手にすることのできない夢の機械だったのです。
値段が高ければ普及もしない。
カラーテレビの普及
その後、改良が重ねられて技術も向上しました。
日本も、ますます豊かになり、カラーテレビの値段も下がり、家庭へ普及を加速させる大きな要因が、東京オリンピックです。
ここらへんの時代背景は、きっと再来年のクドカンの大河ドラマで描かれることでしょう。
オリンピックが終わると、一時証券不況になりますが、建設国債の発行を契機に「いざなぎ景気」の大きな波がやってきました。
カラーテレビは新三種の神器として、「カー」、「クーラー」とともに経済成長の象徴となり、販売は広がりました。
大阪で万国博覧会が開催されると、カラー放送は一気に広まります。
NHK総合テレビは全番組カラーとなり、本格的なカラーの時代となりました。
最近NHKのドラマでは、最近、昭和の時代を描いたドラマが多く放送され、当時の番組作りの苦労が多く描かれていました。
ドラマで見るテレビ草創期
NHKのドラマ「トットチャンネル」では、若き日の黒柳徹子の目から見たテレビ草創期、白黒時代からの様子が描かれ、森繁久彌や渥美清などの往年のスターや、素晴らしい数々の脚本書いた向田邦子など、白黒テレビからカラー草創期を支えた人々を、番組制作風景を、大変興味深く見ました。
最近始まったNHK のドラマ「のぼせもん」、クレージーキャッツの植木等を、かつて彼の付き人だった小松政夫の目から描いていますが、白黒からからーにかけての時代のテレビの製作風景が描かれています。
テレビ時代が華開く頃のお話です。
多くのスターが生み出されました。
これからのテレビ
古いテレビ番組を見ると、今からみれば、映像も、手法も古く何か手作り感のようなものがあります。
今や時代も変わり映像技術も、手法も変化し、当時とは異なるステージに立っています。
今や4kの時代を迎えようとしています。
正直なところ、ここまで画質を追い求めてどうするんだろうという思いがるのですが、かつてハイビジョンで初めて、美術作品や自然の情景を見たとき、思わず画面をさわってみたくなった感動的な感覚を思い出します。
これからどんな発展をしていくのでしょう。半世紀の間のすさまじい技術革新を考えると、すぐに想像を越える時代がすぐそこにあるような気がします。
倉本聰のメッセージ
しばらく前に、倉本聰の脚本による昼ドラ「やすらぎの郷」に、往年のスターたちが、で総出演していました。
倉本さんの今の時代に対する反発と、レクイエムのような印象を受けました。
テレビ文化に対する倉本さんの真剣な思いと危機感が、一時代を築いた倉本さんから渡されようとしています。
新しい時代を生きる者として、視聴者たりとてテレビ文化を構成する大事な一要素、見る目を養い継承を受ける立場でなければならないと思います。
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